ヴィトゲンシュタイン小伝教職に就きたい中毒みたいなのに罹っていて,学術関係の予算がどーとか,大学院の環境があーだとか言っているヤツは,彼より情熱的に講義をして,彼より信念を持って研究しとるんかねぇ?悪いが予算や環境の事で文句垂れているうちはワシにはそう見えんぜよ.
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ヴィトゲンシュタインはケンブリッジ大学の講師になった.『論考』が公刊されて既に10年の歳月が流れ,しかもその間,かれは一切の学問的活動を自らに禁じていたことを思い合わせると,いかにムーアやラッセルらの強力な推輓があったとはいえ,これは異例のことに属する.しかし,ヴィトゲンシュタインは,大学に教職を得たことを,とくに名誉とも,また喜ぶべきこととも思っていなかった.むしろ彼はそれを有難迷惑に感じ,さらには自らの職業に嫌悪を示しさえしたのである.自分は大学の教師に適していない.これは彼が親しい友人にしばしば洩らす愚痴であった.
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ヴィトゲンシュタインは週に二回,授業をおこなうことになった.最初のうちは大学の教室を使い,のちには自宅の部屋で授業を行った.一回は講義に,一回は自由討論にあてられていた.そして,ケンブリッジでの講義は,途中数回途切れたものの,結局,1947年まで続くことになる.
一口に講義といっても,彼の場合,ありきたりのものとはわけがちがった.まずヴィトゲンシュタインはノート,メモの類を一切用いない.講義は時として,学生が前回の講義をまとめることからはじまる.次にヴィトゲンシュタインが,自分の選んだテーマについて,日頃考えていること――おそらく,その講義のために一週間考え続けたであろうこと――を一語一語,反芻するような仕方で話しはじめる.やがて彼は突然,語を切り,学生の一人に向かって話しかける.この点について君の意見はどうか.その学生の答えをもとにし,ヴィトゲンシュタインが批判・検討することで,彼の講義が再会する.しばらくたつとふたたび出席者に対して質問の矢が放たれる…….
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時には講義はうまく進行しない.提出された問題があまりに難解であるために,ヴィトゲンシュタイン自身が混乱し,とまどってしまう.そのような折り,彼は「ちょっと待ってください.考えてみます」といったまま,椅子の端に腰を下し,身をかがめて考え込むのである.彼の苦闘は10分も20分も続く.周囲に沈黙の領する中を,俺は阿呆だ,とか,君らはひどい教師をもったものさ,とか,今日はなんてとんまなんだ,といった呪詛の言葉が彼の口からときどき洩れる.目は一点を凝視し,顔は厳しく,そして生気にみちている.彼は何ものかを捉えんとするかのように手を動かし,時折り,激しい苦悶の表情をしめす.それは,かつてヴィトゲンシュタインが親しい友人に洩らした言葉を,如実に示す態度であった.「人間は,年じゅう,躓いたり転んだり,躓いたり転んだりしているものなのさ.やることはただ一つ,起きあがってもう一度歩きだそうとすることだ.すくなくともそれが,私の一生やらなければならないことさ.」
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ヴィトゲンシュタインは,生涯,妻を娶らなかった.理由は分からない.家庭の暖さを愛してはいたが,にもかかわらず,たえず孤独と放浪――精神の放浪も含めて――への激しい憧憬に駆られていたこの荒野の狼は,「家庭」という狭い檻には堪えられぬことを,本能的にさとっていたのかもしれない.炉辺の幸福は,彼にとってはしょせん,見果てぬ夢にすぎなかったのであろう.
彼を慕う女子学生も少なくなかった.しかしヴィトゲンシュタインは,彼女らに目もくれなかった,という話である.ケンブリッジに留学していたマルコムがアメリカに帰国するとき(このとき彼はまだ独身であった),ヴィトゲンシュタインが餞とした言葉がある.「何をしようと勝手だが,女の哲学者と結婚することだけは,よした方がいいよ.」
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2010/01/17
LpA * (4.024/7)
「論理哲学論考」の4.024まで読んだ.つーか,本文の前のラッセルの解題...の前にある訳者による小伝がウケる. :DDD
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