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2019/04/20

reorg(&mybookshelf); // #9

  • 井尻正二/秋山雅彦=編著 化石の世界 大月書店(1992/09/11) ISBN4-272-44022-5
  • アンドリュー・パーカー=著 渡辺政隆/今西康子=訳 眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く ISBN978-4-7942-1478-2
  • マテュー・グネル=著 米田成一=監 斎藤かぐみ=訳 隕石 迷信と驚嘆から宇宙科学へ 文庫クセジュ(2017/05/30) ISBN978-560-51012-4
一口に昔のモノと言うと,骨董品や美術品の様なモノも悪くないのだが,理系的には化石と隕石を挙げない訳には逝かぬ.詳しい内容は...まぁ,上記の様なちゃんとした本を読めば良い.
  • ハワード・フィリップス・ラヴクラフト=著 大瀧啓裕=訳 ラヴクラフト全集 1 創元推理文庫(1974/12/13) ISBN4-488-52301-3
  • ハワード・フィリップス・ラヴクラフト=著 大瀧啓裕=訳 ラヴクラフト全集 2 創元推理文庫(1976/08/20) ISBN4-488-52302-1
  • ハワード・フィリップス・ラヴクラフト=著 大瀧啓裕=訳 ラヴクラフト全集 3 創元推理文庫(1984/03/30) ISBN4-488-52303-X
  • ハワード・フィリップス・ラヴクラフト=著 大瀧啓裕=訳 ラヴクラフト全集 4 創元推理文庫(1985/11/29) ISBN4-488-52304-8
  • ハワード・フィリップス・ラヴクラフト=著 大瀧啓裕=訳 ラヴクラフト全集 5 創元推理文庫(1987/07/10) ISBN4-488-52305-6
  • ハワード・フィリップス・ラヴクラフト=著 大瀧啓裕=訳 ラヴクラフト全集 6 創元推理文庫(1989/11/24) ISBN4-488-52306-4
  • ハワード・フィリップス・ラヴクラフト=著 大瀧啓裕=訳 ラヴクラフト全集 7 創元推理文庫(2005/01/21) ISBN4-488-52307-2
  • ハワード・フィリップス・ラヴクラフト=著 大瀧啓裕=訳 ラヴクラフト全集 別巻 上 創元推理文庫(2007/09/28) ISBN978-4-488-52308-4
  • ハワード・フィリップス・ラヴクラフト=著 大瀧啓裕=訳 ラヴクラフト全集 別巻 下 創元推理文庫(2007/12/28) ISBN978-4-488-52309-1
ぃぁぃぁ...失敬.昔のモノ,出てきますね.すごく昔のモノが...で,内容はと言うと,殆ど面白くなかった...と言ったらマニアに刺されそうだが,個人の感想なので.どっちかっつーと,メジャー/マイナー問わず,最近のオマージュ作品の方が面白く感じる.やっぱりオレが現代人だからなのだろうか.

アプリオリ(a priori)と言う哲学用語がある.経験的認識に先立つ先見的/自明的なモノの事で,カントとかが良く使う.カントによれば,空間と時間はアプリオリな概念らしいが,ここでカントの二番煎じを行うつもりはない.ただ,昔のモノ繋がりで言えば,時間が不思議なモノだと感じる事は良くある.
  • ジャン・ポール・サルトル=著 鈴木道彦=訳 嘔吐 新訳 人文書院(2010/07/20) ISBN978-4-409-13031-5
これは異常な瞬間だった。私はそこで凍りついたように動けず、恐ろしい陶酔に浸っていた。けれどもこの陶酔のまっただなかに、何か新しいものがあらわれた。私は〈吐き気〉を理解し、それを所有していたのだ。実を言うと、私は自分の発見を明確に言語化したわけではない。しかし今はそれを言葉にするのも容易に思われる。本質的なことは偶然性なのだ。つまり定義すれば、存在は必然ではない。存在するとは単にそこにある、、、、、ということなのだ。
ジャン・ポール・サルトル=著 鈴木道彦=訳 嘔吐 新訳
徒歩通勤と食材の買い出しを除けば,外出はおろか,遠出をする事は殆ど無いのだが,偶にバスや電車で移動する時,普段の歩く速度とは桁の違う速度で移動している時,ふとそう感じる時がある.窓からは幾つものビルやマンションが見える.電線や踏切,アスファルトで舗装された道路.コンビニや飲み屋の電飾.自転車や車,それで移動する人達.それら全ては,多分100年位前は存在しなかった.乗り合わせた人達も運転手も自分も,この電車やバスも100年前には存在しなかった.まぁ,寺や神社や神木なら100年前からあったかもしれんが.

日本人はコメを喰う.実家から持って来たmaxで3合炊きの古い小さな炊飯器から御飯をドンブリに盛っている時に,ふとそう感じる.今,コメを作っている農家の人たちは100年もコメを作っている訳ではないし,多分100年もコメを作り続ける事は出来無い.つまり,田植えも稲刈りも未だ100回も経験していないし,これから死ぬまでコメを作り続けても100回も経験出来無い.

目の前のPC上のエディタで開かれたコードを見る.PCも,その上で動作するエディタも100年前には存在しなかった.モノとノリに依るが,日に10kLOC程度までなら書く事が出来る.オレが死ぬまで,あとどれ位のコードが書けるだろうか.

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